【アルバニア旅行】ベラト:ティラナからバスで2時間、「千の窓を持つ町」へ行ってみた。
アルバニア2日目。
この日はティラナからバスに乗って「千の窓を持つ町」として知られるベラトへ日帰りで行ってまいりました。
アルバニアの情報ってインターネットで探しても本当に少ないんですよね。
ティラナからベラトへの行き方を調べても当時は数件しかヒットせず、しかも古い情報も多くてバスターミナルの場所を探すのすら一苦労。
何とか探し当てた情報を頼りに当日バスターミナルまで行ってみました。
本当にベラト行きのバスがあるのかドキドキしながら。
バスターミナルの近くにあるアルバニア国旗の双頭の鷲オブジェ。
バスターミナルに着いたらどこからともなくおっちゃんがやってきて、「どこ行きたいんや?」と聞いてくれるので行き先を告げるとバスまで連れて行ってくれます。
バスにも行き先が書いているので、自分が乗るべきバスを探すのはそれほど難しくないと思います。
ティラナからベラトのバスターミナルまでは約2時間、バスチケットは400ALL(約£2.8)でした。
2時間の中距離バスが400円ってどういう値段設定なんでしょうか。
ガソリン代とか経費諸々カバーできるのか気になる…。
ベラトのバスターミナルからシティセンターへはローカルバスで10~15分ほど。
料金は確か20ALL(約15p)くらい。
乗車中にまわってくるチケット係のおっちゃんにお金を払うのですが、安すぎて思わず聞き返してしまいました。笑
ベラトのシティセンターに到着。ボーダフォンショップが浮いている…。
まずはベラト城へ向かう。
丘の上にあるお城なので傾斜をひたすら登っていく。しんどい…。
30分くらい歩くとようやくベラト城に到着。4月上旬とはいえ日差しが強いよアルバニア。
アルバニアの歴史って、私たちが思っている以上にずっとずっと長いんです。
ベラト城は紀元前2500年には存在したと言われています。(え…??)
紀元前200年にローマ人の侵攻によって焼き払われましたが、5世紀にはローマ帝国がバルカンから国を守るための要塞として使用していたようです。
その後もビザンツ帝国やオスマン帝国に代わるがわる支配を受け、その度に要塞は補強されていきます。
城壁内にはビザンツ帝国時代の教会やオスマン帝国時代のモスクが現在も残っています。
城壁内はカラサ地区と呼ばれ、ここで暮らしている人たちもいる。
ビザンツ帝国時代の教会。
この辺りはビザンツ帝国の風情が色濃く残っている。
ベラト城からはベラトの町を一望できる。
丘の頂上からの眺め。しんどかったけど登った甲斐があったな…。
レストランやお店が多く立ち並ぶマンガレム地区。この景色から「千の窓を持つ町」と言われるようになった。
城壁内のカラサ地区がビザンツ帝国の風情だったのに対し、ベラト城の麓のマンガレム地区はオスマン帝国時代の面影が残っています。
同じ町なのに全く違う雰囲気を持っていて面白いですよね。
ゴリツァ地区を散策。
オスマン帝国時代に作られた、シティセンターとゴリツァ地区を結ぶゴリツァ橋。
マンガレム地区から川を挟んだ向こう側はゴリツァ地区。
キリスト教徒が多く住む地区です。
国民の7割がイスラム教徒のアルバニア。(とは言えお酒の規制とか全然なかったし適当なのかもしれない。笑)
対岸のマンガレム地区はムスリムが多く住んでいます。
川を隔てたこっちと向こうで違う宗教を信仰しているというのは興味深いですね。
しかも橋を渡って10分ほど、目と鼻の先の場所なのに。
往路と同じくバスでティラナへ帰りました。
ベラトのシティセンターまでのバスに乗ったら、行きと同じチケット係のおっちゃんが乗っていて思わず笑ってしまいました。
一日何往復してるんやろか…。
ティラナに戻ってディナーのためにまたBlloku地区へ繰り出しました。
ここに行けば何かしらはあるのは観光客にとってはありがたい限り。
前日に訪れたReatauranr Piceri Era Bllokuの目と鼻の先にあるJuvenilaというレストランへ行きました。
これは確かパブリカの中にご飯が詰まってたと思う。チーズ焼き。
Fergeseもオーダー。お店によって若干違うので比較する楽しみもある。
個人的には前日のお店の方が雰囲気も含めて好きだったのですが、味はどちらも間違いないです。
アルバニア料理ってどんなものか想像がつかなかったのですが、旅行中に食べたものはどれも美味しかったです。
ギリシャ料理が好きな方はきっと好きだと思います。
これにてアルバニアでの2日間は終了。
ブルーアイやジロカストラへ行く場合はプラス1~2日必要ですが、ティラナとベラトだけなら2泊3日あれば十分かなと感じました。
さて、翌日はモンテネグロへ向かいます!