Spice of Life

イギリスでイタリア人と暮らす日本人のブログ。

【イラン旅行】イスファハーン:アルメニア人地区のヴァーンク教会。夕食はガイドさんの自宅でペルシャ料理。

午後の観光はヴァーンク教会からスタート。

イスファハーンの川を挟んで南側、アルメニア系住人が多く住むジョルファー地区にあるアルメニア人のための教会です。

 

そうそう、この教会に行く前にランチを食べたんですよね。

ラマダンの時期なので店内で食事できるような店がなく、ガイドさんがテイクアウェイのチキン屋に行って「店内で食べたいんやけど」と交渉するとなんとキッチンへ案内されて、チキンを揚げている横で食べることになりました。笑

衛生的にどうなん?ですが、私たち観光客はなす術もなく言われるがままですよ…。

思い出したら笑えてきますw

 

 

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教会の前にはアルメニア人司教の銅像が立っている。有名な方なんだろうか?

 

イスファハーンがペルシャ帝国の首都になったアッバース1世の治世時に、オスマン帝国の迫害から逃れてきたアルメニア人によって建てられたのがこのヴァーンク教会です。

 

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見た目はモスク。でも屋根の上に十字架があるのがおわかりだろうか?(見づらい写真ですみません。)

 

地味な外観にモスクのようなドームを造り、教会だとわかりにくくしたんだそうです。

アッバース1世は異教徒に寛容な政策を取ったことが知られているのですが、アルメニア人たちがあえてモスクのような教会を造った理由は?

オスマン帝国に追われた自分たちを受け入れてくれたペルシャの文化を尊重したということなのでしょうか?興味深いですね。

詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

 

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中に入るとギンギラギンの教会。マッチもビックリ…。(年代ばれるやつw)

 

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壁一面に描かれた最後の審判。

 

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天井のスペースも見逃さず一面ギンギラギン。

 

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聖書のストーリーが描かれている。それにしても派手。外観との差よ…。

 

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アルメニアの教会ってみんなこうなのか?一気にアルメニアに興味がわく。

 

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敷地内に神学校もある。普通のアパートみたい。

 

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この他、写真は撮っておりませんが付属の博物館もあります。

世界最小の聖書、髪の毛に書かれた聖書(どういうこと?)まであり、小さいながらも興味をそそられる展示がたくさんありました。

 

この日の夕食は一日案内してくれたガイドさんがご自宅に招いてくれました。

実はツアーを申し込むときに夫が「イランのローカルの人の生活に興味がある」とツアー会社に伝えていたらしく、それならばうちに来てご飯を食べるといいよとおっしゃってくれたのです。

彼女は一旦家に帰って夕食の準備をするということで一旦解散。

 

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イマーム広場へ戻って約束の時間までブラブラ散歩。

 

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何度見てもやっぱりかっこいい。

 

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広場でピクニックをしている地元の人たちをたくさん見かけた。この場所が日常になるってどんな気分なんだろうか。

 

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夕方は人が少ないので写真撮り放題。

 

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約束の時間にガイドさんのご自宅へ。

イラン人のお宅訪問できるなんて思ってなかったからテンション上がった。

夫、グッジョブ。

 

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ペルシャ料理の数々。この他にもいっぱい出てきた。

 

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ガイドさんは自宅だからってことで(私の)夫がいてもヒジャブは着用していなかったんですが、ガイドさんのお母さんは家族じゃない男性の前だからということでヒジャブを着用していました。

この辺は宗教観とか個々の考え方の違いによるんでしょうか。

そういうことを観察するのは楽しかったし学びになったと思います。

 

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おいしいご飯をいただきまして、イスファハーン滞在終了。

【イラン旅行】イスファハーン:豪華な内装のシャイフルトゥフッラーモスク。壁画が見どころのチェヘルソトゥーン宮殿の見学もお忘れなく。

続いてはイマーム広場で一際目立つ存在、シャイフルトゥフッラーモスクへ。

王やその家族が祈るための場所が必要だと考えたアッバース1世が、アリカプ宮殿の反対側に造らせたモスクです。

 

一つ前の記事に書いたイマームモスク(シャーモスク)が公共のモスクだったのに対し、シャイフルトゥフッラーモスクは王とその家族のプライベートモスクで入口は厳重な警備に守られていました。

宮殿からモスクへの移動の際に人目につくのを避けるため、王とその家族は地下トンネルを使ってモスクへ通っていたそうです。(そのトンネルを見てみたい。)

 

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シャーモスクよりシンプルな外観。

 

プライベートモスクとして建てられたためシャーモスクより小さく、ミナレットも作られませんでした。

ミナレットにはアザーンを流して礼拝を促す役割があるので、プライベートモスクには必要なかったというわけです。

内部の装飾は有名なイラン人職人によって手掛けられ、当時はイランで一番美しい建物と言われていました。

 

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こちらのエイワーンも美しい。

 

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内装はシャーモスクより豪華。さすが王のためのモスク。

 

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ドームはこれまた繊細な美しさ。ゴールドをベースに使うことでシャーモスクとの差別化を図れている気がする。

 

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窓から差し込む光で天井に孔雀が羽を広げているように見える。

 

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どこを切り取っても絵になる。センスのない夫カメラマンでもよい写真が撮れるw

 

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近くにいた違うグループのガイドさんが「ここにカメラ置いて写真撮るんや!」って教えてくれた。笑

 

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窓ひとつとっても綺麗。

 

外観だけ見るとシャーモスクの方が迫力があるし目立つのですが、内装はシャイフルトゥフッラーモスクの圧勝。

当時の人たちはこれを見ることができなかったんだなと思うと、他人事ながら惜しいですね…。

 

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イマーム広場にはバザールに繋がる入口があります。

イスファハーンのバザールはシラーズのものより大きくてお土産になりそうなものもたくさん売っているので、まとめ買いするならここで買えばいいかなと思います。

 

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スパイス屋さん。

 

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イマーム広場を後にして、広場のほど近くにあるチェヘルソトゥーン宮殿へ向かいます。

 

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チェヘルソトゥーン宮殿は1588年のアッバース1世の治世時に建設が始まったにもかかわらず、完成させたのはアッバース2世。1647年のことです。

主に式典や国の要人を迎えての晩餐会など国家的行事の際に使用されました。

建築スタイルには中国やヨーロッパの影響も受けたと言われています。

 

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チェヘルソトゥーンは「40の柱」の意。

正面テラスには20本の柱が建てられており、それが水面に映ると倍の40本になるためそのような名前が付けられたそうです。

といっても実際に40本の柱を見ることは難しいんですけれどね…。

 

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キラキラのエイワーン。

 

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近くで見てもキラキラ。イランのエイワーンはムカルナス装飾が多い。豪華に見えてよい。

 

大広間には歴史上の出来事が描かれている6枚の壁画があります。

6枚のうち2枚はカージャール朝時代に追加されたものです。

 

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アッバース1世の晩餐会。

 

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アッバース2世がテュルキスタンの王をもてなしてる。

 

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イェニチェリ(オスマン帝国の歩兵)と戦うイスマーイール1世。

 

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アフシャール朝のナーディルシャーのインド侵攻。

 

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ペルシャに逃れてきたインドの王子を受け入れるタフマースブ1世。

 

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ウズベク人と戦うイスマーイール1世。

 

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女子高生がデコったみたいな色使いの天井。笑

 

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建築美を楽しむのはもちろん、歴史が好きな方は大広間の壁画を見るのもワクワクすると思います。

イマーム広場のすぐ裏手にあるので、チェヘルソトゥーン宮殿を見学することもお忘れなく。

 

【イラン旅行】イスファハーン:「イスファハーンは世界の半分」を実感できる場所、イマーム広場とシャーモスク。

イスファハーン2日目。

ガイドさんに一日市内を案内してもらう日です。

イスファハーンのガイドさんが日本語に興味があって勉強しているらしく(しかも独学で!)、少し日本語を話せて親近感がわきました。

 

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イスファハーンで誰もが訪れるであろうイマーム広場。

めちゃくちゃかっこいい、今まで見た世界のどの広場よりもかっこいい。

イスファハーンは世界の半分、ですからね。

 

まずはイマームモスクへ向かいます。

シャーモスクという名の方が知られているかもしれませんね。(イラン革命以前の呼び名のようですが現在もその名が使われれることも多いです。)

 

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写真ではそのかっこよさが半分も伝わらない。実際に行ってみて欲しい。

 

シャーモスクはジャーメモスクにかわる金曜礼拝の場として、アッバース1世が建設を命じました。

1611年に建設を開始、1629年に完成。

18年をかけてこの素敵なモスクを作ったんですねぇ…。

 

モスク内にはマドラサが2つ建設される予定だったらしいのですが、アッバース1世が「自分の生きている間にモスクを完成させよ」と言ったことから工期が短縮されて計画が変更になったそうです。

結局モスクが完成したのはアッバース1世の死後数ヵ月経ってから。

モスクの完成を願っていたのに、間にあわなかったんですね。

 

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17世紀にこんな美の極みのようなモスクを建てられるなんて、ペルシャ帝国の技術と美的感覚どうなってるんや。「イスファハーンは世界の半分」だったのも納得。

 

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このエイワーンが特にすごい。セルジューク朝とサファーヴィー朝の影響を受けた建築スタイルなんだそう。

 

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ここだけでもずーっと見ていられる。

 

当時、モスクはもちろん重要な建築物は全てメッカの方角を向いて建てられていたのですが、このシャーモスクの門はメッカに向いていないということが大きな特徴。

それでは礼拝のときに困るのでは?と思うのですが、一度門をくぐって順路に沿って進んでいくと、中庭に出たときにはメッカの方角を向いているんですって。

門に対してモスクが斜め右方向に建てられているので、イマーム広場から門とモスクのドームの両方を見ることができる秀逸な作りです。(通常は門の直線状にモスクがあるためドームが隠れてしまうことが多い。)

 

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残念ながら一部修復中。

 

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ピンクモスクもかわいくて好きやけど、やっぱり私は青がいいかなぁ。洗練されている気がする。

 

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青と黄色のコンビネーションって最高。

 

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模様も色もめちゃくちゃ綺麗。

 

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ドーム型の屋根には声が響くポイントがあり、小声で話してもモスク全体に広がるようになっている。イマームが大声を出さなくてよいように設計されたらしい。

 

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マドラサの中庭。

 

モスクに併設されているマドラサでは観光客向けにイスラム教に関するショートコースを提供しているようなので(英、仏、西、アラビア語)、気になる方は問い合わせてみてください。

私たちが行ったときにはこの中庭におじいちゃんが座っていて(働いている人なのかただの地元の人なのかは謎w)、イスラム教やモスクについて知りたいことがあったら教えるよと話しかけてくれたので少しお話ししました。

 

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ここのモザイク模様がめちゃくちゃ好み。お土産にしたいからミニチュアで作って欲しい。

 

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ドームも修復中。全容が見られなくて残念。

 

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ヨーロッパだと教会や聖堂を「有名だから」という理由だけで見て、まぁこんなもんか…と思うことが度々あるのですが、イランはそれが全然ないですね。

日本やイギリスと何もかもが違うので新鮮だから全てに感動するというのはもちろんあると思います。

でもそれ以上に満足感というか、知的好奇心が満たされる感じがするんですよね。

 

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これは広場の西側にあるアリカプ宮殿。王の住まいだった場所。こちらは内部見学せず。

 

シラーズ最高!と思っていたけど、イスファハーンにはペルシャ帝国の栄華が詰まっている気がして選べませんね…まだシャーモスクしか見ていないのにこんな気持ちになるなんて…。

 

【イラン旅行】イスファハーン:ペルシャに古くから架かる橋、スィーオセ橋とハージュ橋。

シラーズからイスファハーンへは陸路で向かいます。

直行便のバスで5時間くらい。

 

バスの写真は撮っていないのですがシートは横幅も足元も十分なスペースがあり快適、読書をしたり外の景色を眺めたりしているとあっという間に時間が過ぎました。

軽食セットも配られて、中長距離バスに関しては日本より発展していると感じました。

ここでもラマダンに関係なくみんな配られたパンやスナックを食べていたので、「ラマダンとは…?」とあれこれ考えてしまいました。笑

 

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道中バスの中から撮った写真。何もない。笑

 

イスファハーンで宿泊したのはこちら。

 

www.hbahotel.com

 

ここはイランで宿泊したホテルの中で部屋が一番広かったです。

キッチンもあったのでちょっとした調理もできました。

 

そうそう、テヘランで両替したお金がなくなってきたのでレセプションで両替できるかって聞いたんですよね。

そしたら「いくら両替したいんや」「ドルかユーロか」みたいなことを聞かれまして。

確か£150両替したいってお願いしたら「その量の現金を調達するのは時間がかかるから2時間後に取りに来てくれ」って言われました。

両替するのも一苦労。

 

チェックインを済ませて一休みしていたらもう17時過ぎ。

せっかくだしどこかに行かねばと、散歩がてら歴史的に重要だという橋を見に行きました。

はい、橋といえば夫の出番です。笑

 

カメラを持って出かけたのですがまさかのバッテリーを入れ忘れておりました。

痛恨のミス…。

仕方なく携帯で撮影したので微妙な写真しかありません。涙

 

まずはスィーオセ橋。

イスファハーンで一番長い橋です。

 

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川が完全に干上がっている。

 

カズビーンからイスファハーンへ首都を移した際に、アッバース1世が建設を命じたスィーオセ橋。

「スィーオセ(Si-o-Se)」はファーシ(イラン人が話すペルシャ語)で33の意。

橋の上部に33のアーチが設けられたことからこの名がついたそうです。

 

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観光客はもちろん、地元の人もたくさんいる。


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橋を渡ってみた。ベンチに座って思い思いの時間を過ごしている人がたくさんいる。

 

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大きな橋なので混み合うこともなく写真も撮りたい放題。

 

こちらはスィーオセ橋とハージュ橋の間にかかっている橋。

名前は忘れてしまいました。

 

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最後はハージュ橋。


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真ん中のちょっとしたスペースがアッバース2世が愛した場所。 

 

サファーヴィー朝のアッバース2世の命により建設されました。

アッバース2世はスィーオセ橋の建設を命じたアッバース1世のひ孫にあたります。   

アッバース2世は橋の真ん中に設けられた休憩所に座ってイスファハーンの景色を眺めるのが好きだったそうです。


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スィーオセ橋より橋の幅が狭い。

 

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所々にタイル装飾も。


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ハージュ橋は川の水量を調節するダムの役割も果たしているんだそうです。

5月末のイスファハーンは川の水が完全に干上がっておりましたので、その様子は見ることができませんでした。

 

橋の周辺をブラブラしているとよい時間になりましたので、イマーム広場周辺へ戻って夕食タイム。

広場のシンボルともいえるシャイフルトゥフッラーモスクの近くにあるレストランです。

 

  

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中庭っぽいところ。なんとなく怪しい雰囲気。ライトの色かな。笑

 

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床に座って食べるスタイル。といっても本当の床ではなくベンチのような場所なのでご心配なく。

 

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ここのテーブル、日本人と思しき方数名と日本語ペラペラのイランの方たちが座っていた。駐在員かな?

 
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イランで有名なヨーグルトドリンク。と言っても甘くはなくむしろしょっぱい。私は苦手だった。


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ちゃんとシート敷いてくれるあたり衛生観念がイギリスより良いと感じる。笑

 

場所的にも観光客向けなレストランなのだと思いますが、その分店員の方も外国人に慣れていて気が楽でした。

 

そうそう、外国人と言えば。

イラン滞在中は街を歩いていると色んな人に声をかけられたんですね。

私が日本人だとわかると、「おぉー、日本人に初めて会ったわ」って言われることが多かったです。(珍獣かよw)


ツアー会社の方やガイドさんにも日本人でツアーに参加したのは私が初めてだと言われましたし、日本人でイランに行く人が少ないのか、行ったとしても団体ツアーで現地の人の目に触れる場所にはあまり行かないんでしょうかね。

とにかくめちゃくちゃ珍しがられましたという話です。

 

【イラン旅行】シラーズ:デルゴーシャガーデン、サアディー廟、エラム庭園をまとめて観光。

ペルセポリスを案内してもらった後、ホテルまで送り届けてもらってガイドさんとはお別れ。

「他に行きたいところあれば連れていくよ」って言われたけど、ピンクモスクに行くために早起きしていたし、ペルセポリスの暑さに体力を奪われて少し休憩したかったので。

 

シャワー浴びて休憩して、ちょっと涼しくなってきたタイミングでデルゴーシャガーデンへ行きました。

 

ササン朝時代に創られた庭園で、サファーヴィー朝時代にはシラーズで最も有名な庭園になったらしいです。

4月にはオレンジの花が満開で庭園内がオレンジの香りに包まれるそうですが一足遅かったですね、残念。

 

 

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こういうのあると絶対乗ってしまう。

 

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夫が乗るとトゥクトゥクドライバーにしか見えなくてお腹抱えて爆笑。

 

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車もある。

 

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誰もいないので写真撮りたい放題。

 

写真に全身が写っているので女性のイランでの服装について少しお話しすると、頭を覆ってさえいれば髪の毛は多少出ていても問題ないみたいです。

若者の間ではヒジャブやスカーフの間から少し髪を出すのが流行っているとガイドさんに聞きました。(どこの国でも流行りはあるんですねぇ。)

 

パンツは細身のスキニーなんかでも大丈夫です。

でもお尻が出てるのはよくないみたいなので、長めのシャツやカーディガンを羽織っておくといいと思います。

 

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花が植えられ、綺麗に手入れされている。

 

小さな庭園ですが観光客がほとんどいないので、朝や夕方の散歩にぴったりの場所です。

 

そこから歩いてサアディー廟も見に行きました。

 

イランを代表する詩人サアディーがここに眠っています。

シラーズというとハーフェズ廟があまりにも有名なのですが、ハーフェズと同様サアディーもイランの人たちに愛されているんですよ。

小さな廟ですがお時間のある方はぜひ、こちらにも立ち寄ってみてください。

 

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ハーフェズ廟とは違って室内に棺が納められている。

 

デルゴーシャガーデン、サアディー廟と見て回ってもまだ時間がありましたので、タクシーに乗ってエラム庭園に行ってみることへ。

 

エラム庭園はセルジューク朝時代に建てられたと言われていますが、正確な情報はなく不明な点も多いらしいです。

セルジューク朝は11世紀から14世紀まで続いた王朝ですから、初期と後期では年代が全く違いますしね。

ザンド朝時代には、シラーズの他の建物とともに修復されているようです。

 

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一見普通の庭園に見えるけど世界遺産。

最近は何でもかんでも世界遺産なのでこのタイトルはあまり信用できませんけどね。(エラム庭園をディスっているわけではない、世界遺産に認定しすぎ問題に疑問を抱いているだけ。)

 

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花が咲いていて散歩する分には楽しい。

 

こちらは結構人が多かったです。

観光客もいたし、地元の人っぽい家族やカップルもたくさんいました。

 

時間があるしどこかもう一ヵ所という感じなら、デルゴーシャガーデンの方がおススメです。

ほぼ貸し切り状態でゆっくりできるので。笑

サアディー廟も徒歩圏内ですし。

 

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散歩をしているうちに日も暮れてきたので、そのまま夕食を食べに行きました。

ラマダンとはいっても日没後はイランの人たちもご飯を食べられるので、お店も開いているし普段となんら変わりありません。(普段を知らないけどもw)

 

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テヘランのバザールで見かけた、ラマダン時に食べるお菓子でてきた。サービス。日中は断食してるから糖分を補うために食べるんかな?

 

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ここのレストラン、外観や内装はめっちゃしっかり記憶があるのですが肝心の名前を全然覚えていません…。

思い出したら追記します。

 

翌日にはバスでイスファハーンへ向かいます!

【イラン旅行】シラーズ:アケメネス朝の都、ペルセポリスで古代ペルシャの力を垣間見る。

早朝にピンクモスクを見学し、いよいよペルセポリスへ。

シラーズ滞在の中で一番楽しみにしていた場所です。

 

シラーズからペルセポリスまでは車で1時間ほど。

交通手段が限られておりますので(ミニバスがあるらしいが直行便はないらしい)、ツアーに参加するなり車をチャーターするなりして前もって交通手段を確保しておくのがよさそうです。

 

到着してすぐのビジターセンター(チケット売り場)のすぐ横にトイレがありますので、見学ツアーを始める前に済ませておくと安心です。

5月のシラーズは30℃を超える暑さ、すべての水分が汗として流れ出るのでトイレに行く回数は少なくて済むのですけどね。(いいのか悪いのかw)

 

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簡単な場内地図。

 

ペルセポリスはみなさまご存知、ダレイオス1世によって築かれたアケメネス朝ペルシアの都です。

山の中に作ってしまったためアクセスが悪く、実際の政治はスサやバビロン、エクバタナで執り行われていたそう。(なんやそれw)

ペルセポリスは主に式典や行事のための場所で、王は主に春をペルセポリスで過ごすことが多かったんですって。(一番過ごしやすいからかな?)

 

ダレイオス3世の治世時にマケドニアのアレクサンドロス大王がペルシャ帝国を征服しようとペルセポリスを焼き払ってしまいます。

マケドニアの支配下でもペルセポリスは都として機能していましたが、セレウコス朝の支配が始まるとどんどん衰退していき廃墟になってしまいました。

 

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ダレイオス1世の息子、クセルクセス1世によって作られた門。顔がほとんど残っていないが、逆に胴体がちゃんと残っているのはすごくないか?と思った。

 

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門の反対側。こちらは保存状態良好。顔はつぶされているが…。

 

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この機器をレンタルすると当時のペルセポリスを再現した映像を3Dでみることができる。遺跡と最新技術のコラボw目の前の遺跡と見比べると楽しいのでおススメ。

 

ちなみにこのVR機器は入口ではなく、入場後にクセルクセス門の辺りのテント内で貸し出しているのを借りました。

あまりにも簡易的なテントなので最初詐欺かと思ったのですが(何でもかんでも疑うw)、ガイドさんがちゃんとしたやつだよと教えてくれ、どんな風に見えるのか試させてくれたので一台だけ借りて夫と交代で使いました。

 

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ペルセポリスで見逃せないのがアパダナ(謁見の間)の細かいレリーフの数々。

それぞれにストーリがあるのですが、朝貢する属国人の様子を描いているものが多かったです。

 

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ライオンと雄牛のレリーフ。ペルセポリス内で多く見かける。ライオンは絶対的な権力の象徴として好まれていたんだそう。

 

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国による衣装の違いを正確(かは実際わからんけどもw)に表していて面白い。

 

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王に献上する貢物あれこれ。見ているだけで楽しい。

 

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こちらはダレイオス1世の宮殿。

王が実際に暮らしていたとされるプライベートな空間です。

 

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ここは他の場所に比べて多くの建物が残っており(といっても柱のみですが)、レリーフも保存状態の良いものがたくさん見受けられました。

 

ペルセポリスを見てまわった後は、車で10分ほどの場所にあるネクロポリスへ。

アケメネス朝時代の王のお墓です。

 

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写真に写る人との対比でわかると思うが巨大。こんな大きいお墓作る必要ある?ってくらい巨大。

 

このうちの一つはダレイオス1世のお墓。

残る3つは「多分」クセルクセス1世(ダレイオス1世の息子)、アルタクセルクセス1世(クセルクセス1世の息子)、ダレイオス2世(アルタクセルクセス1世の息子)と言われてはいますが確証はないらしいです。

 

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ササン朝のシャープール1世のレリーフ。ササン朝時代に付け加えられた。

 

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これまでは本で読んだことしかなかった世界が目の前に広がっていて、感動&感激しまくった一日でした。(語彙力w)

中学生や高校生の頃はただ何となく頭に思い描いていただけのことを大人になれば実行できる、大人ってすごいなと思う。

 

ペルセポリス内は日陰が少なく、5月末でも干からびそうなくらい暑かったのでみなさん水分補給はお忘れなく…。

荷物に余裕がある人は魔法瓶の水筒を持っていくとよいかと思います。

冷たい水を買っても気温が高すぎてすぐにぬるま湯になるので。笑

 

【イラン旅行】シラーズ:当時の最先端、ピンクモスクは必ず朝に行くべし。

シラーズ2日目。

この日は朝からNasir ol-Mulk Mosque、通称「ピンクモスク」へ。

 

ピンクモスクは19世紀後半、カジャール朝時代に建設されました。

 

外も中もどこを見てもピンクなのですが、実はこのピンクを抽出する技法は19世紀以降に確立されたもの。(金から抽出するんだそう。)

これ以前はモスクなどのタイルに使われる色が青が圧倒的に多かったようです。

その点でこのピンクモスクは当時、最先端の技術を使ったモスクだったと言えます。

 

またピンクモスクが建てられた19世紀後半はイランが近代化に足を踏み入れた時代でもあり、建築技法や色遣いにおいてヨーロッパの影響を受けているというところも注目すべき点です。

 

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どんな人がこのモスクをデザインしたのか気になる。従来のものと違うという批判などはなかったのだろうか?(日本人的思考w)

 

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19世紀になって初めて使われるようになったというピンクをふんだんに使っている。

 

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こちらが写真でよく見る西の礼拝堂。

壁一面に並ぶステンドグラスから日の光が差し込んで幻想的な雰囲気です。

太陽の位置が低いときにしか日が差し込まないので午前中、それも早い時間に行くのが良いみたいです。

 

ちなみに私たちは7時45分頃に行きました。

観光客は私たちの他に3〜4組いたでしょうか。

意外と少なかったのでゆっくり見学できましたし、写真も存分に撮ることができました。

 

ゆっくりと見学したいなら午前8時までに行くのがいいかと思います。

8時半ごろから一気に人が増え始めたので。

 

観光スポットとはいえモスク、しかも礼拝堂ですので静かに、お祈りしている方々の邪魔にならないように見学しなければいけません。

 

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ステンドグラス以外にも見所がある礼拝堂。全部ピンク。かわいい。


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冬に行くと太陽の位置が低くもっと深くまで光が差し込むよう。

 

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朝イチで行くと人が少ないので、写真を撮る場所も選べる。

 

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ここが撮影スポットだよとガイドさんに教えてもらう。

 

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ここにステンドグラスをはめよう!って考えた人、天才。

 

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礼拝堂だけではなく外観も美しい。

 

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イランの建築技術にはただただ感心するばかり。

 

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こちらもピンクモスクの一部。

でも観光客は全然いません。

ここは昔マドラサ(イスラム教の神学校)だったとガイドさんが言っていた気がするけれど、記憶が曖昧です。

詳しい方いらっしゃいましたら教えてください。

 

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西の礼拝堂と構造は似ているがこちらはかなりシンプル。

 

この後、シラーズ観光のハイライトでもあるペルセポリスへ向かいます。

写真がかなり多くなりそうなのでペルセポリスに関しては次回の記事に分けて書きます。

 

ペルセポリスからの帰りにコーランゲートに立ち寄ったので、最後にそちらの紹介を。

 

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シラーズの玄関口と言われているコーランゲート。

当時イラン~イラクを統治していたブワイフ朝の王の命によって建てられました。

 

王は出来上がった門の上にコーランを置くように命じました。

そうすれば人々がコーランの下を通ることができると考えたのです。

イスラム教にはコーランの下を通れば安全な旅ができる、神が見守ってくれるという言い伝えがあるんですって。

以降、コーランゲートは旅人が道中の無事を祈る場所となりました。

 

支配王朝の衰退や地震によってオリジナルのコーランゲートは廃墟となり、1949年に再建されたのが現在のコーランゲート。

ゲートに置かれていたコーランは現在、シラーズのパールス博物館に保管されているそうです。

 

一見ただのゲートに見えますが歴史を知ると一気に面白味が増します。

シラーズからペルセポリスの道中にありますので、コーランゲートに立ち寄ることもお忘れなく。